月光族

感性豊かすぎるお嬢さま雑誌『月光』始末記。LGBTの精神分析的説明など。

小此木啓吾先生と私





ある日ポストを開けると、一枚のハガキが入っていた。土居健郎先生と並ぶ精神分析のリーダー、小此木啓吾先生から、研究会に参加していいという内容だった。


小此木先生はアメリカで精神分析医の資格を取得してから、信濃町の慶應病院で研究会を開いていた。生徒は「見学生」という資格で、臨床心理学専攻の私を除いてみんな精神科医。


どうしてこうなったかというと、私には日本の主だった精神科医と強いコネがあったからである。医学専門の出版社「医学書院」の元編集長がバックアップしてくれたのだ。編集長は本を書いてもらわなければならないので、本を書きそうな医師とは付き合いがある。私は大学の卒論(精神分析の理論で、サルバドールダリのような絵を描くという内容)で、当時医学書院をやめて別の出版社でコンサルタントをしながら大学講師もやっていたこの先生のお世話になっていたのである。その著書『絵画療法入門』を読んだので、連絡がついたのだ。それからはこの先生の自宅を訪問して、家族のように接してもらっていた。英語翻訳のアルバイト(『人間百科』の和訳など)をもらい、大学院入学の学力がついたのも、著訳書を四冊(『ドリームパワー』、『超心理の科学』、『美人画の世界』、『現代マンガの心的世界』、この先生との共著共訳)出版してもらったのも、この先生のおかげである。


小此木先生の講義は、一風変わったものだった。小此木先生は、オールバックの髪型で、靴をはいたまま、机に脚を投げ出して講義を始める。途中で蕎麦の出前がやってくる。この格好でもり蕎麦を食べながらの講義は、ユーモアに溢れていた。おそらくは「気を遣わなくていいですよ」というメッセージなのだろう。内容はもちろんフロイトの精神分析理論だが、それにフロイトの娘、アンナ・フロイトが発展させた「自我理論」を加えたようなものだった。たとえば、好きな女の子にわざと意地悪する男の子がいる。この男の子の自我の防衛機制を「反動形成」と呼ぶ。その他にも「否認」、「分離」、「知性化」など、様々な防衛機制がある(「自我の防衛機制」でググってね)。


この理論の集大成が、『精神力動論ーロールシャッハテストと自我心理学の統合』(小此木啓吾、馬場禮子著、医学書院)である。値段は高いが良書だと思う。私は馬場禮子(まだ存命。ググってね)先生の講義にも参加させてもらった。精神分析とロールシャッハテストを統合させた、シェーファー式のロールシャッハテストが主な内容である。


小此木先生は精神科医ウィルヘルム・ライヒの前半の業績を高く評価していた。つまり自我の防衛機制が性格を形成するという説である。後半の業績は悪名高き「オーゴンボックス」(卑猥な絵の書かれている大きな箱に患者を入れ、大声で叫ばせる)である。ついにライヒは警察に逮捕され、キチガイと呼ばれることになる。


ちなみに私の防衛性格は、嫌なものは見て見ないフリをする「否認」が主体となっているようだ。これを「ポリアンナ性格」という。マンガや小説に出てくるポリアンナは、一見良い性格のようだが、ストレスにめっぽう弱いという、かなりやばい性格なのである。詳細は黒歴史になるので秘密。


統合失調症ー感性の爆発







精神病院で夜勤をしていたとき、警官に連れられてきた患者が私にこう言った。「私はあなたのイニシャルを当てることができる」。彼が最初に言ったのは、S。当たった! 私はドキリとした。「もう一つのイニシャルは?」と私は聞いた。すこし時間をおいて彼は答えた。結果はハズレであった(正解はK)。


悪いことをしなければ警察は捕まえない。警官が一緒にきたということは、なにかやらかしたということである(自殺未遂も悪いことのひとつである。ご注意ください)。


ちなみに、警官から聞いた薬物中毒者(シャブなど)の見つけ方を紹介しよう。キーポイントは窓の目張り。覚醒剤精神病になった患者は誰かに見られているという恐怖から、覗かれないようにガムテープなどで窓に目張りをする。これで一発逮捕というわけ。



では、悪いことをして、これは精神的な原因によるものではないかと警官が判断した場合、どうなるのか? 警官は「精神科救急情報センター」に連絡するか、精神科救急の指定病院(墨東病院か松沢病院)に直接連絡する(私は墨東病院)。情報センターは指定病院の保護室の空き具合などの情報を知っているので、それに基づいてパトカーに情報を伝える。もうだいぶ時がたっているので、細かい部分は変わったかもしれないが、大筋は変わらないようだ(資料提供「厚生労働省e-ヘルスネット」)。



この場合、患者をどういう形で入院させるかについては、3つの選択肢がある。「自由入院」、「同意入院」、「措置入院」。自由入院は文字通り自由。患者が退院したいといえば、病院側は逆らえない。しかし、警察に捕まるようなことをしておきながら、それをチャラにして自由入院なんてさせることは、まず出来ない。警察のお世話にならずに病院にきて、とくに危険がないという判断がなされない限り、自由入院にはならない。


だから、警察に保護された場合は、「同意入院」か、精神衛生法第24条による「措置入院」のどちらかとなる。どちらも自分の意志では退院できない、強制入院である。


ただし、「同意入院」は家族の同意があれば退院できる可能性がある。同意者には序列がある。一番は後見人、いなければ配偶者、それもいなければ両親。兄弟はそのままでは同意入院の書類に署名する資格はないが、家庭裁判所に選任届けを提出すれはOKなので、選任届けを書いてもらう。


統合失調症は、早発性痴呆と言われていた通り、若くして発病することが多い。また精神病院は人権にからむ訴訟もよくあるので、私はなるべく「同意入院」を選ぶことになる。患者は若いので、たいてい両親、すくなくとも片親は生きている。ここからが修羅場となる。親に同意書を書いてもらわなければ同意入院は成立しないので、私は北海道だろうと沖縄だろうと、真夜中に電話をかけて親を叩き起こす。


「都立墨東病院です。これこれの事情なので、いますぐに病院に来てください」。「そんなこと言われても、飛行機がありません」。「では電話で仮の同意書をつくっておきます。ただしあくまでも仮ですから、一秒でもはやく来ていただかないと困ります」。無理難題を言っているのはこちらもわかっているのだが、仕事だからしょうがない。


こうして連れてこられる患者はたいてい睡眠不足である。「寝なくても良くなった」なんていう人もいるが、寝ていないことに変わりはない。慣れてくると、患者が何日寝ていないのか、聞かなくても分かるようになってくる。


2日寝ていない患者は、かなり支離滅裂だが、まだ理性の影が残っている。3日目になるともう、文字通りの支離滅裂である。だから患者にはホリゾン50mg、またはイソミタール0.5gのお迎えが待っている。これは強力で患者は爆睡し、失禁してしまうので、導尿しなくてはならない。睡眠不足にはくれぐれもご注意を。


患者が直接駆け込んでくることもある。この場合、まずはそれがほんとうに精神病の患者なのかどうかを判断しなければならない。決め手は「電波」で、電波が来ている(電波体験)と言えばまず100パー、本物の統合失調症の患者である。念のためにどういうことなのか聞いてみると、「ホイホイ電話」が聞こえるのだという。「それ、何ですか?」と聞くと「ともかく、そういうものがあるんです」という答え。うまい表現だ。


うつ病の患者は少ない。というのも、悪いことをして警察に捕まるというのは他人に迷惑をかけるからであり、うつ病患者が唯一人迷惑と見なされるのは、自殺企図があるからである。統合失調症の患者は不安が強く、自分の妄想で騒ぎ出すことがあるが、重症のうつ病患者のほうは希死念慮。死を希う、つまり死んでも構わないという、特攻隊もお釈迦さまも顔負けの心根なので、不安など眼中にない。


またある日、若い女性が訪ねてきて言うことには、「頭がおかしくなったみたいです」。それこそおかしな話だ。そんなことを言う患者はいない。さらに話を聞いてみると、「夜の星空を鳥みたいに、どこまでも飛んで行きたくなりました」。「ふざけんな!」と私は思った。統合失調症の患者のパーソナリティは、いわばみずみずしさのない枯れ木のイメージなのだ。これがけっこういい判断材料になる。なのに彼女がこんな詩人みたいな事を言い出したのはなぜか。精神病院をホテル代わりに使おうとしているのだ。


私は患者がくれば、白衣のまま気持ち良さそうに長椅子で寝ている看護師を叩き起こさなければならない。患者が暴れるかもしれないので頭数が必要だから、寝ているスタッフはこの看護師が全員叩き起こす。だから詐病の患者をそれなりの手続きを踏んで看護師に報告するようなことがあれば、スタッフ全員の顰蹙を買ってしまう。この問題は「ここはホテルではありません」の一言で決着した。


別の患者が保護室の格子ごしに、こんなことを言った。「私には聖書の意味がすべて分かる。あなたには空の青さが分かるか?」。新約聖書のルカ伝を思わせる。


前にも述べたように、聖書は思考よりもカンに偏った記述が多い。たとえばマタイ伝の前のほうにある「山上の垂訓」。イエスがシナイ山で教えを説く有名な箇所である。「右の頬を打たれたら左の頬を向けなさい」。頭で考えれば、これは殴られ損である。でも右の頬を打たれて左の頬を向けたら、相手は何事だと思うだろう。戦意をくじかれること間違いなしである。これは相手の出方を伺い、カンを巡らせた、ただのケンカのやり方なのだ。「敵意をもって向かってくる相手には親切にしなさい。それは相手に煮え湯をかけたのと同じになる」というのも、けっこうセコい。これでは相手の立つ瀬がない。やはり敵意がくじかれてしまう。


思考に頼っている哲学者みたいな人が、ひとたび感性に目覚めたとき、そのショックは大きい。大きすぎて、自分はテレパシーを身に着けた超能力者になったのだと思い込んでしまうのだ。このように、センスがあまり思考に偏りすぎている人間は、その反動として感性に偏りすぎている人間に変貌しやすい。その逆もまた然りである。


だから、カンが頼りの「月光族」は、精神病、とくに統合失調症になりやすい。この歯に絹を着せたような呼び方、私はあまり好きではない。最初にクレペリンが名付けたのは「早発性痴呆」(Dementia praecox)であった。さらにクレペリンはこれを緊張、破瓜、妄想の3形に分類した。若いころに発病するので早発性と名付けたのだろう。ごく最近までの呼び名は「精神分裂病」であった。いずれも怖そうな呼び名である。精神分裂病も統合失調症も、語源は同じ、ドイツ語のシゾフレニー(Schizophrenie)、略して「シゾ」である。


人権の保護といった風潮があるから、シゾが統合失調症になったのだと思うが、この病気は訴訟、ひいては暴力、殺人事件まで起こしかねない、恐ろしい病気なのだ。統合失調症に「治る」という言葉は使わない。「寛解する」というのである。つまり一時的に状態が良くなったという意味で、またいつか悪くなるということが、予想されているのである。


「月光族」の私の親友は、当時の有名なロックバンド「ザ・イエローモンキー」の吉井和哉さんの大ファンだった。吉井さんの事務所に自分の家の鍵を送り付けるほどの猛者である。状態が悪くなるのを見越して、私は言った。「もし誰かに追いかけられていると思うようなことがあったら、こう問い返してみな。自分は誰かに追いかけられるほど、重要な人物なのか」と。


しかし、この忠告はまったく効果がなく、やがて妄想の嵐が始まった。「吉井さんとすれ違った」、「イエローモンキーのメンバーが、この町に引っ越しを始めている」、「私のいない留守に、吉井さんが私の送った鍵を使って、お風呂に入っていった痕跡がある」、「寝ている間に吉井さんがアソコを触っていった。濡れているからわかる」、「吉井さんの奥さんが怒って、私の鼻を痛くしている」、「吉井さんのベースを拾った」(これはちょっとおかしいと彼女は言った。吉井さんの使っているのはギターで、ベースではないはずだ、と。でもとあるライブで吉井さんはベースを使っていた。そのビデオさえあれば、これが吉井さんのものだということが証明できるというのだ)。


ちょっとしたきっかけが、えらいことになってしまう。まさに感性の爆発である。この人はもともと感性に依存するようなタイプだったのだが、その逆になるという事態が起こった。


やはり「月光族」の友達なのだが、彼女は突然精神病院に入院してしまった。そしてニーチェを読みふけっているという。アルゾーシュプラッハツアラトウストラ(ツアラトウストラかく語りき)。彼女は哲学者になってしまったのだ。何をかいわんや。


超心理の科学ー超能力者必見!






この記述は拙訳書『超心理の科学』(時事通信社)をベースにしている。著者はガードナー・マーフィ。習慣というものがなぜ出来上がるかを説明する理論、「水路づけ」で有名な心理学者である。目的地に向かう、条件の同じような道が複数あるとする。被験者にその中から一本の道を選んでもらう。すると、被験者は次に通る道も最初と同じ道を選ぶ。他の道はどうでも良くなってしまうのだ。


れっきとした心理学者のマーフィなのだが、彼は超心理学にも興味を示すようになる。むろん巷の怪しげな超能力者を信用したりするような軽率なことはしない。マーフィの関心は、ロンドン心霊科学協会に向けられた。


ロンドン心霊科学協会は、1882年イギリスで設立され、現在でも続いている。会長にはウイリアム・ジェームズ、作家のコナン・ドイルなどの著名人が名を連ねている。日本にも同じような名前の団体があるが、ロンドンSPR(心霊科学協会)とは全く別物なのでお間違えなく。


ウイリアム・ジェームズは、アメリカ心理学の父、機能心理学の祖と言われる。「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」(刺激事象の知覚によって身体的変化が生じ、その変化を知覚することが情動である)という言葉を残している。


当時、食事のとり方の議論が白熱しており、「フレッチャー咀嚼法」というのが流行した。食事は100回嚙んでから食べるべきだというもので、これを聞いたジェームズは「死んだほうがマシだ!」と一喝している。つまり、「良識の人」だったのである。


長々と説明したのは、この研究が気ままな思い付きによるものではなく、まともな心理学によってなされたということが言いたかったからだ。


たとえば、とりあえず世界中から不思議な話を集めて検証する。特別なカードを作って被験者を2つのグループに完全に分け、テレパシーの実験をする。この結果の解釈はきわめて科学的に行う。「P<0.02、よって帰無仮説を棄却して統計的有意」というように。


ウイリアム・ジェームズは、アメリカ最高の霊媒と言われる、レオノール・パイパー夫人と出会う。そこでショックに打ちのめされる。腕時計など、身につける物を見せただけで、パイパー夫人はその持ち主のことを正確に言い当てたのだ。テレビのヤラセではない。当時テレビがあったとしても、ジェームズがヤラセに加担するわけがない。実際、ジェームズは気が収まらなかった。そこで一計を案じた。実在しない、でたらめな人物をでっち上げて、それをパイパー夫人に話したのだ。しかし霊媒は言った。その人物はたしかに存在する、と。


霊媒はウソに引っ掛ってしまったのである。では、パイパー夫人は噓つきなのか? そうではないだろう。裏を返せば、嘘でも言わなければ収まらないほど、ジェームズが追い詰められたということである。


ロンドンSPRが行った実験としては、「自動書記」があげられる。発信者の霊媒がある筆記を行い、受信者も思いついたことをそのまま自動書記する。


日本にも注目すべき話がある。乃木希典大将が旅館に泊まったとき、ある女性を見た。後で旅館のひとに話を聞くと、それは死んだ女性だったという。この話が信憑性を帯びるのは、乃木大将は名誉と信義を重んじる軍人だったということである。


また、幼い子供が、じつは前は船乗りで、こういう名前の船に乗っていたなどという話をし、調べてみるとその詳細がすべて事実と一致していた、というような話はよくある。


死後の世界はどうだろう? これについては、ロンドンSPRの会長リチャード・ホジスンが、自分の死をかけて実験した。つまり、自分にしか分からないこと(おそらくは記号や文章など)を金庫に入れておき、死後に通信を送ると言い残してこの世を去った。結果はというと、通信はなかった。


私の得た結論は次の通り。


心理学には「公理」(あまねく従うべき論理)というものがあり、その公理として「モーガンの公準」(下等な能力だと解釈できる行動を、より高等な能力だと解釈してはならない)というものがある。たとえば2匹の魚が口を合わせているという行動は、性ホルモンの分泌によるものだと解釈できる場合には、より高等な能力である恋愛のためだと解釈してはならない、ということである。問題の原因を「テレパシー」か「死後の世界のメッセージ」かと二者択一で考えれば、人間の生体反応とおぼしき「テレパシー」は、死霊のメッセージともいうべき「死後の世界のメッセージ」よりも下等な能力と考えられる。


そして、このように調査と実験をふまえてみると、「テレパシー」が存在しないとしたならば、あらゆる不思議な物事の説明がつかない。実際に超能力による犯罪捜査は成功を収めているようであり、霊媒レオノール・パイパー夫人や乃木大将の事例からも、テレパシーが存在するとすれば説明がつく。乃木大将の見たという女性はこの世のひとではないが、彼女が死んだという記憶をもっている人はまだ生きていたわけである。その人の生体反応であるテレパシーが、乃木大将に幻影を見せたという仮説が成り立つ。


つまり、「モーガンの公準」により、「テレパシー」は存在し、「死後の世界」はないとしても、あらゆる不思議な出来事の説明はほぼ成立するということになる。


死後の世界はある意味で夢のあることだが、実際には存在しないと私は思う。


テレパシーは存在はするものの、それは微弱な電波のように、とても捉えにくいものである。だから有名な霊媒でも、テレパシーの受信に失敗することがある。


これが、私の結論である。


無意識の凶行ーゴミ屋敷からパワハラ上司まで







フロイトは発達段階を、「口唇期(0~1歳頃)」「肛門期(1~3歳頃)」「男根期(エディプス期)(3~6歳頃)」「潜在期(6~12歳頃)」「性器期(13歳以降)」の5段階に分けている。これは介護福祉士国家試験に出るらしい。


タバコを飲むひとは、禁煙の場所で、なんとなく口ざみしいと感じることはないだろうか? そこでハッカパイプを咥えてみたりする。これは、口唇に快感を覚える、口唇期の名残りとされる。口唇期での精神的なストレスが無意識に抑圧されてしまうと、口うるさくなったり、ひどいお喋りになったり、極端な食道楽になったりする。


ここで「抑圧」について触れておく。精神分析では抑圧を「無意識に押しやる」という意味で使うので、意識的な「抑制」とは意味がまったく違う。抑圧は自分でも気づかずにやってしまう心理機制である。ある成長段階で抑圧が起こると、そのときの鬱憤が無意識となり、後年生活に影響を及ぼす。


口唇期の次は肛門期。子供をトイレに無理矢理行かせたり、過度にタイミングや清潔さに厳しすぎると、その子はものを捨てるのを嫌がるようになったりする。ためこみ屋でけちな性格になることがある。うんちは「黄金」と言われるように、子供にとっては自分が持っている唯一の貴重品である。バーッと一気に出すと気持ちがいい。これはギャンブル依存症に通じる。お金をバーッと使うのは、経済的に当たれば儲かるという以外に、快感を得るという無意識の理由がある。


ドストエフスキーは、一晩で莫大な財産を失ってしまう話を小説にしている。私はドストエフスキーが好きでとくにそんな場面が好みなのだが、いまはギャンブル狂の動画でそれが見られるようになった。色もセリフもついているし、簡単に楽しめる。うれしい。


ギャンブルは損か得か、考えてみよう。たとえば競馬。競馬は掛け金の25パーセントを堂本に取られてしまう。4回賭ければ0になってしまう確率だということを、ギャンブラーも知っているはずである。


1回か2回、初心者が競馬をやるとよく当たる。いわゆるビギナーズラックである。馬はデータ通りには走らない。だからデータ重視のベテランを尻目に、初心者が大勝することになる。しかし何回もやっていれば、確率の壁は越えられない。競馬の神様といわれた大川慶次郎さんでさえ、蔵を建てたという話は伝わっていない。


統計的には、ゼロサムゲーム(千円勝った人がいれば、千円負ける人がいる)なら、競馬で蔵が立つのである。凝り性の私は競馬必勝法を編み出し、一万円を土日の全レースに賭けて、半年持たした実績がある。25パーセント差し引かれなければ、蔵が立っていただろう。


ネットカジノなら差し引かれるのは5パーセントくらいだそうな。なら儲かるかも、と思うのだが、八百長があるらしい。これはダメだ。


FXはゼロサムゲーム。そこだけみれば蔵が立つ確率はあるが、一億円儲けた人(たぶん専門家)が一人いると、百万円損した人(たぶん素人)が百人いることになる。私は一億円儲けた人になる自信がない。ギャンブルで蔵をたてるのは、諦めよう。


さて、肛門期性格の特徴として、「ケチ」があげられる。大事な「黄金」をためこむようにお金をため、使うときにはバーッと一気に使う。お金でもゴミでも、まずため込むというのが、その特徴だ。


極端なのは「ゴミ屋敷」である。そこまで行かなくても、「なぜか輪ゴムが捨てられない」というのもこの部類だ。貯金して家を買ったり、ポイントを貯めて買い物をしたりするのも、現実的な取引を越えた、ある種の快感がある。


口唇期から肛門期までは、男女ともにたどる精神性的な成長である。ところが、次のエディプス期になると事情は変わってくる。女の子にはおちんちんがないからだ。


男の子と両親の間の三角関係、つまりエディプスコンプレックスの状況において、母親イメージは180度ひっくり返る。それまではSМプレイの女王様のようだった母親が、自分のいないところでは、父親とちちくりあっている、ダメで小さな存在へと変身するのだ。


一方、父親は怖くて偉い存在なので、子供は逆らえない。つまり、エディプスコンプレックスの世界は父親同一化、男尊女卑なのである。会社には課長、部長といった「階級」がある。エディプスコンプレックスの強いひとはこの「階級」を心理的に内在化させている。そういうものがあるのだということを、心の底から信じているわけである。


だからそういう人は、自分の地位をかさに着て女子社員に長々とお説教を始めたりする。女はちょっと目を離せば何をするかわからない浮気者だから、それが当然なのである。


ところが、階級とか権威といったものが心理的に内在化されていない、一般的な女子社員にしてみれば、社長といえどもただのおじさん。そのおじさんがちょっとでも無意識の本音を口や態度で示せば、たいていはセクハラということになる。エディプスコンプレックスの世界では女は心の中ではだれとでもセックスがしたい浮気者なのだから、飲み会に誘ってエッチな誘いをかけてあげるのは、親切なのだ。おちんちんが小さいために、父親に母親を盗られてしまったという幼児期の体験から、おちんちんが大きければ女はいくらでも寄ってくると密かに思っている。


現実としては、大きなおちんちんを自慢しても、女は寄ってこない。でも、エディプスコンプレックスがなければ、女はいくらでも寄ってくるのだ。


掲示板

掲示板をつくりました。やっぱりホームページには掲示板がないとね。
でも、つかってくれなかったら意味なしだから、いっぱい書いてね!


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