月光族

感性豊かすぎるお嬢さま雑誌『月光』始末記。LGBTの精神分析的説明など。

統合失調症ー感性の爆発







精神病院で夜勤をしていたとき、警官に連れられてきた患者が私にこう言った。「私はあなたのイニシャルを当てることができる」。彼が最初に言ったのは、S。当たった! 私はドキリとした。「もう一つのイニシャルは?」と私は聞いた。すこし時間をおいて彼は答えた。結果はハズレであった(正解はK)。


悪いことをしなければ警察は捕まえない。警官が一緒にきたということは、なにかやらかしたということである(自殺未遂も悪いことのひとつである。ご注意ください)。


ちなみに、警官から聞いた薬物中毒者(シャブなど)の見つけ方を紹介しよう。キーポイントは窓の目張り。覚醒剤精神病になった患者は誰かに見られているという恐怖から、覗かれないようにガムテープなどで窓に目張りをする。これで一発逮捕というわけ。



では、悪いことをして、これは精神的な原因によるものではないかと警官が判断した場合、どうなるのか? 警官は「精神科救急情報センター」に連絡するか、精神科救急の指定病院(墨東病院か松沢病院)に直接連絡する(私は墨東病院)。情報センターは指定病院の保護室の空き具合などの情報を知っているので、それに基づいてパトカーに情報を伝える。もうだいぶ時がたっているので、細かい部分は変わったかもしれないが、大筋は変わらないようだ(資料提供「厚生労働省e-ヘルスネット」)。



この場合、患者をどういう形で入院させるかについては、3つの選択肢がある。「自由入院」、「同意入院」、「措置入院」。自由入院は文字通り自由。患者が退院したいといえば、病院側は逆らえない。しかし、警察に捕まるようなことをしておきながら、それをチャラにして自由入院なんてさせることは、まず出来ない。警察のお世話にならずに病院にきて、とくに危険がないという判断がなされない限り、自由入院にはならない。


だから、警察に保護された場合は、「同意入院」か、精神衛生法第24条による「措置入院」のどちらかとなる。どちらも自分の意志では退院できない、強制入院である。


ただし、「同意入院」は家族の同意があれば退院できる可能性がある。同意者には序列がある。一番は後見人、いなければ配偶者、それもいなければ両親。兄弟はそのままでは同意入院の書類に署名する資格はないが、家庭裁判所に選任届けを提出すれはOKなので、選任届けを書いてもらう。


統合失調症は、早発性痴呆と言われていた通り、若くして発病することが多い。また精神病院は人権にからむ訴訟もよくあるので、私はなるべく「同意入院」を選ぶことになる。患者は若いので、たいてい両親、すくなくとも片親は生きている。ここからが修羅場となる。親に同意書を書いてもらわなければ同意入院は成立しないので、私は北海道だろうと沖縄だろうと、真夜中に電話をかけて親を叩き起こす。


「都立墨東病院です。これこれの事情なので、いますぐに病院に来てください」。「そんなこと言われても、飛行機がありません」。「では電話で仮の同意書をつくっておきます。ただしあくまでも仮ですから、一秒でもはやく来ていただかないと困ります」。無理難題を言っているのはこちらもわかっているのだが、仕事だからしょうがない。


こうして連れてこられる患者はたいてい睡眠不足である。「寝なくても良くなった」なんていう人もいるが、寝ていないことに変わりはない。慣れてくると、患者が何日寝ていないのか、聞かなくても分かるようになってくる。


2日寝ていない患者は、かなり支離滅裂だが、まだ理性の影が残っている。3日目になるともう、文字通りの支離滅裂である。だから患者にはホリゾン50mg、またはイソミタール0.5gのお迎えが待っている。これは強力で患者は爆睡し、失禁してしまうので、導尿しなくてはならない。睡眠不足にはくれぐれもご注意を。


患者が直接駆け込んでくることもある。この場合、まずはそれがほんとうに精神病の患者なのかどうかを判断しなければならない。決め手は「電波」で、電波が来ている(電波体験)と言えばまず100パー、本物の統合失調症の患者である。念のためにどういうことなのか聞いてみると、「ホイホイ電話」が聞こえるのだという。「それ、何ですか?」と聞くと「ともかく、そういうものがあるんです」という答え。うまい表現だ。


うつ病の患者は少ない。というのも、悪いことをして警察に捕まるというのは他人に迷惑をかけるからであり、うつ病患者が唯一人迷惑と見なされるのは、自殺企図があるからである。統合失調症の患者は不安が強く、自分の妄想で騒ぎ出すことがあるが、重症のうつ病患者のほうは希死念慮。死を希う、つまり死んでも構わないという、特攻隊もお釈迦さまも顔負けの心根なので、不安など眼中にない。


またある日、若い女性が訪ねてきて言うことには、「頭がおかしくなったみたいです」。それこそおかしな話だ。そんなことを言う患者はいない。さらに話を聞いてみると、「夜の星空を鳥みたいに、どこまでも飛んで行きたくなりました」。「ふざけんな!」と私は思った。統合失調症の患者のパーソナリティは、いわばみずみずしさのない枯れ木のイメージなのだ。これがけっこういい判断材料になる。なのに彼女がこんな詩人みたいな事を言い出したのはなぜか。精神病院をホテル代わりに使おうとしているのだ。


私は患者がくれば、白衣のまま気持ち良さそうに長椅子で寝ている看護師を叩き起こさなければならない。患者が暴れるかもしれないので頭数が必要だから、寝ているスタッフはこの看護師が全員叩き起こす。だから詐病の患者をそれなりの手続きを踏んで看護師に報告するようなことがあれば、スタッフ全員の顰蹙を買ってしまう。この問題は「ここはホテルではありません」の一言で決着した。


別の患者が保護室の格子ごしに、こんなことを言った。「私には聖書の意味がすべて分かる。あなたには空の青さが分かるか?」。新約聖書のルカ伝を思わせる。


前にも述べたように、聖書は思考よりもカンに偏った記述が多い。たとえばマタイ伝の前のほうにある「山上の垂訓」。イエスがシナイ山で教えを説く有名な箇所である。「右の頬を打たれたら左の頬を向けなさい」。頭で考えれば、これは殴られ損である。でも右の頬を打たれて左の頬を向けたら、相手は何事だと思うだろう。戦意をくじかれること間違いなしである。これは相手の出方を伺い、カンを巡らせた、ただのケンカのやり方なのだ。「敵意をもって向かってくる相手には親切にしなさい。それは相手に煮え湯をかけたのと同じになる」というのも、けっこうセコい。これでは相手の立つ瀬がない。やはり敵意がくじかれてしまう。


思考に頼っている哲学者みたいな人が、ひとたび感性に目覚めたとき、そのショックは大きい。大きすぎて、自分はテレパシーを身に着けた超能力者になったのだと思い込んでしまうのだ。このように、センスがあまり思考に偏りすぎている人間は、その反動として感性に偏りすぎている人間に変貌しやすい。その逆もまた然りである。


だから、カンが頼りの「月光族」は、精神病、とくに統合失調症になりやすい。この歯に絹を着せたような呼び方、私はあまり好きではない。最初にクレペリンが名付けたのは「早発性痴呆」(Dementia praecox)であった。さらにクレペリンはこれを緊張、破瓜、妄想の3形に分類した。若いころに発病するので早発性と名付けたのだろう。ごく最近までの呼び名は「精神分裂病」であった。いずれも怖そうな呼び名である。精神分裂病も統合失調症も、語源は同じ、ドイツ語のシゾフレニー(Schizophrenie)、略して「シゾ」である。


人権の保護といった風潮があるから、シゾが統合失調症になったのだと思うが、この病気は訴訟、ひいては暴力、殺人事件まで起こしかねない、恐ろしい病気なのだ。統合失調症に「治る」という言葉は使わない。「寛解する」というのである。つまり一時的に状態が良くなったという意味で、またいつか悪くなるということが、予想されているのである。


「月光族」の私の親友は、当時の有名なロックバンド「ザ・イエローモンキー」の吉井和哉さんの大ファンだった。吉井さんの事務所に自分の家の鍵を送り付けるほどの猛者である。状態が悪くなるのを見越して、私は言った。「もし誰かに追いかけられていると思うようなことがあったら、こう問い返してみな。自分は誰かに追いかけられるほど、重要な人物なのか」と。


しかし、この忠告はまったく効果がなく、やがて妄想の嵐が始まった。「吉井さんとすれ違った」、「イエローモンキーのメンバーが、この町に引っ越しを始めている」、「私のいない留守に、吉井さんが私の送った鍵を使って、お風呂に入っていった痕跡がある」、「寝ている間に吉井さんがアソコを触っていった。濡れているからわかる」、「吉井さんの奥さんが怒って、私の鼻を痛くしている」、「吉井さんのベースを拾った」(これはちょっとおかしいと彼女は言った。吉井さんの使っているのはギターで、ベースではないはずだ、と。でもとあるライブで吉井さんはベースを使っていた。そのビデオさえあれば、これが吉井さんのものだということが証明できるというのだ)。


ちょっとしたきっかけが、えらいことになってしまう。まさに感性の爆発である。この人はもともと感性に依存するようなタイプだったのだが、その逆になるという事態が起こった。


やはり「月光族」の友達なのだが、彼女は突然精神病院に入院してしまった。そしてニーチェを読みふけっているという。アルゾーシュプラッハツアラトウストラ(ツアラトウストラかく語りき)。彼女は哲学者になってしまったのだ。何をかいわんや。


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