月光族

感性豊かすぎるお嬢さま雑誌『月光』始末記。LGBTの精神分析的説明など。

LGBTに与うる書 その4 バイセクシュアルへ






バイセクシュアルと言っても、私は男のバイセクシュアルとは付き合いがないので、対象は女に限定することにします。


バイセクシュアルというと、レズビアンの性的対象が男にまで広がっているだけで、いわば「欲張り」ではないかと思う人もいるのではないでしょうか? でもまったく違います。実はその反対なのです。具体的な事実として、好みに合う男がいなかった場合、女を性的対象にするといったことが起こります。そうすると、するとこの人は本来は男が好きだし、女でもいい、つまりバイセクシュアルということになります。この場合、バイである当事者の女としてのパーソナリティはべつにストレートの女と変わるわけではない。でもマイノリティだから、LGBTに加えられるというだけの話で、じつはフツーの女だということは多々あるのです。


高校生のときに、同じクラスの「おねえさま」に誘われてカップルになったという例もあります。おねえさまは親切だし、アプローチも熱心。こんな場合、「やさしいし、まっいいか」と思ってしまう女もいるのです。


さらに複雑なことにこの「おねえさま」がレズビアンのタチ(男役)ではなく、「月光族」だという例もあります。月光族も、ただ感性が強いというだけで、基本的にはストレートの女と変わりません。女が二人で住んでいて、自分たちをレズビアンだと言えば、疑う人は誰もいません。でも家の中に入ってみると、そこには男の映画スターやロックバンドの写真がいっぱい。男のヌード写真集をもっていて、「おちんちんが小さい!」なんて批評する始末。月光族は男と付き合わないので、男に対する選り好みには容赦ないのです。


本物のレズビアンのネコ(女役)にしても、目をつぶっていれば相手が男でも女でも同じようなものなので、ネコのような顔をしているだけ、というケースは多々あります。なのでタチはネコの浮気に注意するしかないのです。でも、ネコの浮気は許されません。タチとしては、ネコは貴重な存在です。タチとしてはネコはひとりで充分なのですが、その一人がいないのです。


月光族は原則としてネコになるかもしれないストレートの女ばかりということです。一方、レズビアンの世界は、タチがいなければ成立しない。ニワトリが先か卵が先かといえば、タチというニワトリが先で、卵がネコなのです。


レズビアンはネコがいれば抱え込んでしまうので、レズビアンバーにはネコのいないタチが押し寄せることになる。いったい、ネコはどこにいるのだろう? ネットで『雑誌 月光』でググるとか、『月光』の読者を募集してみるとか、編集長「南原四郎」の名前で検索するとか、この文章をみせて様子を伺うというのもひとつの手段かもしれませんね。


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