月光族

感性豊かすぎるお嬢さま雑誌『月光』始末記。LGBTの精神分析的説明など。

フロイトと女






フロイトの最初の論文『ヒステリー研究』の患者は全員女である。しかしその症状は「焦げたプディングの臭いがする」といった性別とは関係ない内容なので、神経症の治療法としての精神分析は健在である。


フロイトは女が苦手だった。恋敵の芸術家を悪し様に罵ったという逸話もあるが、恋はともかく、女の精神分析は超苦手だったといってよい。


その証拠に、フロイトの論文には女の精神分析に関する記述はほとんどないか、誤っている。LGBTについては、全部読みふけった私の記憶にも、恋人のために自分の命を犠牲にしたレズビアンの話をポツンとしているという印象があるだけ。ましてやバイセクシュアルの記述など皆無である。


しかし、女とはこういうものだ、などと知ったかぶりで語る男の多いなか、フロイトの発言は的確。「女は鍵の開け方のわからない宝石箱のようなものだ」と自ら言っている。


フロイト最大の発見はエディプスコンプレックスだと言われるが、フロイト最大の誤りは、「エレクトラコンプレックス」だろう。男の子には、おちんちんという快感をもとに発生するエディプスコンプレックスがあるのだから、おちんちんのない女の子は「去勢されてしまった」という心的外傷体験がある、という主張である。しかし、フロイトの論文にはふつうならあるはずの「症例」もないし、学会でもこの説は認められていない。


私は昨晩、夢を見た。インスタントラーメンにしきりにお湯を注ぐという夢である。フロイトによれば、これは「昼の残り物」である。私は前日、ある人から「熱中症になるから、水を沢山飲みなさい」と言われたのが原因であると思われる。


「夢は無意識への王道である」とフロイトは言っているが、こんな夢しか見ない私としては、夢分析では無意識のむの字もわからない。なぜか? 答えは簡単である。エディプスコンプレックスがないからだ。


無意識に注意を集中していたフロイトは、女にも男の子が体験するようなコンプレックスがあるに違いないという発想から抜け出られなかった。


女の夢分析については、拙訳書『ドリームパワー』(アン・ファラデー著 時事通信社刊)をお勧めしたい。たぶんもう絶版なので、国会図書館にでも行かないと見れないが。


フロイトの論文「夢判断」には、多くの誤解がある。たとえば細長いもの、蛇、銃、大砲などは、おちんちんを表すといった結論ばかりをひとり歩きさせてしまい、夢をみる過程を理解していないという誤解である。だから、女が蛇の夢を見たというと、フロイトを誤解している人が喜ぶ。彼女は前の日に蛇を見たのかも知れないのだ。


また、フロイトの生きた時代が、ビクトリア時代という、机の脚が淫らだといってテーブルクロスをかけてしまうような、性に厳格な時代だったことも考慮すべきである。このようなわけで、「おちんちん」は夢では細長いものと置き換えられる。


現代では、おちんちんの実物がネットで見られる時代なので、「おちんちん」は夢でも加工されることがなく、そのまま出てきてしまうかもしれない。


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