月光族

感性豊かすぎるお嬢さま雑誌『月光』始末記。LGBTの精神分析的説明など。

痴漢とフェティシズムー男尊女卑の世界



前に述べた通り、エディプスコンプレックスは、「ボクもやがてはお父さんのように強く逞しくなって、お母さんのような奥さんをお嫁さんにしよう」という形で克服すれば、子供は健康に育ってゆくのであり、痴漢にはなりません。


ディックミネさんは、女は稼げないからといって、彼女と別れるときには全財産を渡したそうです。現代でこそ、女もそこそこ稼げる時代になりましたが、それでもどちらが稼げるかといえば、やはり男が有利です。昭和の頃は、実際に女は稼げないという厳しい現実がありました。ディックミネさんはその現実を受け止めたのです。でも、こういう例は少数です。


一般には「弱い女を騙して捨てて それがはかない男の手柄」(羽衣歌子「女給の唄」)という結果になります。エディプスコンプレックスの世界では、母親は「お父さんと仲良くなってボクを捨てた」裏切り者なのですから、「女は裏切って当然」なのです。


エディプスコンプレックスを克服した人は、女に対して人間的に接するものです。


エディプス期の前にある肛門期(三歳前後)は、肛門サディズム期と呼ばれることもある女尊男卑、つまり母親の力が強大な発達段階です。この時期の母親イメージは恐ろしい「巨女」です。


キャバレー「ハリウッド」チエーンを創業し、「キャバレー太郎」と呼ばれた福富太郎さんは、SМ画家、伊藤晴雨の絵を集めていました。伊藤晴雨の母親はとても厳格な人で、晴雨は母親を恐れていました。小学生の頃、授業中に先生が怒って黒板消しを女生徒に投げつけたのです。それが女生徒の頭に当たり、彼女は床に倒れてしまいました。そのとき、結んでいた髪がバサッとほごれて床に散乱し、この瞬間が晴雨の絵のモチーフを決定づけることになりました。とくにデッサンではまるで怖い女を縛って恐怖心を和らげるかのように、また散乱した髪の毛が女の死を語るかのように描かれています。女は怖いものなので、縛られているか死んでいるかの無抵抗な状態でなければ、安心できないとでも言いたげです。晴雨は自分の絵は絶対にエロ(エディプスコンプレックスの所産)ではないと主張していました。


SМ趣味の人は女を尊重します。縄は肌を傷つけないように何度も油に漬けたりして細心の注意を払います。一見すると女を縛ったりするので男尊女卑のようですが、じつは無意識では女が怖いから抵抗できないように縛るわけで、じつは女尊男卑なのです。福富太郎さんは女に怯えた肛門期の心的外傷体験を昇華させて(反社会的衝動を社会で認められる形に置き換えて)女尊男卑の謙遜した態度で従業員の女の子に接し、キャバレーで成功を収めたのです。


肛門期の次のエディプス期に、エディプスコンプレックスの克服に失敗すると、どうなるでしょう? 五歳前後のエディプス期に、両親と三角関係になった男の子が「ボクはお母さんになって、お父さんを自分のものにしてしまおう」という戦略をとった場合、これは厄介なことになります。


この時期は「男根期」とも呼ばれ、子供の快感はおちんちんに集中しています。母親が自分を見捨てて父親のほうになびいてしまったのは、おちんちんの大きさのためだと、男の子は考えることになります。大きなおちんちんさえあれば、母親は自分のほうに寄ってくるはず、という論理です。


この状況が無意識となって封印されると、やがて彼はおちんちん崇拝者になってしまいます。そして夜道や女子トイレで、自分のおちんちんを見せつけては悦に入ることになります。


「おまえのお母さんだって、夜はすごいことをしてるんだよ」と悪友から聞かされた男の子は、失望と共に母親の秘密について好奇心をたぎらせ、その秘密を暴こうとします。この時の心的外傷体験が、後年になって下着泥棒を生む原因となります。無意識にこのような心的外傷体験が蓄積されると、男の子は女の下着に執着します。それは母親の秘密を解き明かすための有力な手掛かりだからです。そして、下着フェチのおっさんが生まれるのです。


「トランスジェンダー ブログ」でググると、エッチな記事が目につきます。これは多くのトランスジェンダーが、エディプスコンプレックスの支配下にあることの証です。


アパートの一階に住んでいれば、女はたいてい下着を盗まれます。いったい、どれほどの数の下着フェチの痴漢がいるのでしょう。


エディプスコンプレックスの克服に失敗すると、男の子は母親を恨むことになります。男根期の母親イメージは、尻軽でちょっと目をはなせば父親になびいていまう、性悪な存在です。こんな性悪女を手なずける最強の兵器はおちんちんです。合理的に考えて、おちんちんの大きさで男の価値を判断する女というのはほとんど存在しません。例外として、男のヌード写真を見て、おちんちんの大きさで男の価値を判断するのは、実際には男と付き合ったことのない「月光族」くらいなものです。


男の価値はおちんちんの大きさで決まるなんて、でたらめもいいところだと合理的に話しかければ、表面的には痴漢は頷くかもしれません。でも、おちんちん崇拝教の信者である痴漢の妄想は、そんなことで収まるものではありません。妄想は説得によってなくなるものでは決してないのです。LGBT理解増進法によって、この妄想はますますリアルになってくることでしょう。


エディプスコンプレックスは、「権威」というものを心理的に内在化するのに役立ちます。具体的には、会社の社長、部長、課長、係長といった役職、軍隊であれば階級といったものが実在するものと、男は考えがちです。無意識のうちに、権威というものの存在を受け入れているのです。女はお茶くみ事務員といった最下級の存在で、ひたすら男に奉仕するのが当然と捉えがちです。もちろん、それは無意識の話ですが、それをうっかり口に出して謝罪するように追い込まれる男がいるのは周知の事実です。


エディプスコンプレックスが存在する限り、その克服失敗の結果である男尊女卑は、果てもなく続いてゆくことでしょう。

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