月光族

感性豊かすぎるお嬢さま雑誌『月光』始末記。LGBTの精神分析的説明など。

超心理の科学ー超能力者必見!






この記述は拙訳書『超心理の科学』(時事通信社)をベースにしている。著者はガードナー・マーフィ。習慣というものがなぜ出来上がるかを説明する理論、「水路づけ」で有名な心理学者である。目的地に向かう、条件の同じような道が複数あるとする。被験者にその中から一本の道を選んでもらう。すると、被験者は次に通る道も最初と同じ道を選ぶ。他の道はどうでも良くなってしまうのだ。


れっきとした心理学者のマーフィなのだが、彼は超心理学にも興味を示すようになる。むろん巷の怪しげな超能力者を信用したりするような軽率なことはしない。マーフィの関心は、ロンドン心霊科学協会に向けられた。


ロンドン心霊科学協会は、1882年イギリスで設立され、現在でも続いている。会長にはウイリアム・ジェームズ、作家のコナン・ドイルなどの著名人が名を連ねている。日本にも同じような名前の団体があるが、ロンドンSPR(心霊科学協会)とは全く別物なのでお間違えなく。


ウイリアム・ジェームズは、アメリカ心理学の父、機能心理学の祖と言われる。「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」(刺激事象の知覚によって身体的変化が生じ、その変化を知覚することが情動である)という言葉を残している。


当時、食事のとり方の議論が白熱しており、「フレッチャー咀嚼法」というのが流行した。食事は100回嚙んでから食べるべきだというもので、これを聞いたジェームズは「死んだほうがマシだ!」と一喝している。つまり、「良識の人」だったのである。


長々と説明したのは、この研究が気ままな思い付きによるものではなく、まともな心理学によってなされたということが言いたかったからだ。


たとえば、とりあえず世界中から不思議な話を集めて検証する。特別なカードを作って被験者を2つのグループに完全に分け、テレパシーの実験をする。この結果の解釈はきわめて科学的に行う。「P<0.02、よって帰無仮説を棄却して統計的有意」というように。


ウイリアム・ジェームズは、アメリカ最高の霊媒と言われる、レオノール・パイパー夫人と出会う。そこでショックに打ちのめされる。腕時計など、身につける物を見せただけで、パイパー夫人はその持ち主のことを正確に言い当てたのだ。テレビのヤラセではない。当時テレビがあったとしても、ジェームズがヤラセに加担するわけがない。実際、ジェームズは気が収まらなかった。そこで一計を案じた。実在しない、でたらめな人物をでっち上げて、それをパイパー夫人に話したのだ。しかし霊媒は言った。その人物はたしかに存在する、と。


霊媒はウソに引っ掛ってしまったのである。では、パイパー夫人は噓つきなのか? そうではないだろう。裏を返せば、嘘でも言わなければ収まらないほど、ジェームズが追い詰められたということである。


ロンドンSPRが行った実験としては、「自動書記」があげられる。発信者の霊媒がある筆記を行い、受信者も思いついたことをそのまま自動書記する。


日本にも注目すべき話がある。乃木希典大将が旅館に泊まったとき、ある女性を見た。後で旅館のひとに話を聞くと、それは死んだ女性だったという。この話が信憑性を帯びるのは、乃木大将は名誉と信義を重んじる軍人だったということである。


また、幼い子供が、じつは前は船乗りで、こういう名前の船に乗っていたなどという話をし、調べてみるとその詳細がすべて事実と一致していた、というような話はよくある。


死後の世界はどうだろう? これについては、ロンドンSPRの会長リチャード・ホジスンが、自分の死をかけて実験した。つまり、自分にしか分からないこと(おそらくは記号や文章など)を金庫に入れておき、死後に通信を送ると言い残してこの世を去った。結果はというと、通信はなかった。


私の得た結論は次の通り。


心理学には「公理」(あまねく従うべき論理)というものがあり、その公理として「モーガンの公準」(下等な能力だと解釈できる行動を、より高等な能力だと解釈してはならない)というものがある。たとえば2匹の魚が口を合わせているという行動は、性ホルモンの分泌によるものだと解釈できる場合には、より高等な能力である恋愛のためだと解釈してはならない、ということである。問題の原因を「テレパシー」か「死後の世界のメッセージ」かと二者択一で考えれば、人間の生体反応とおぼしき「テレパシー」は、死霊のメッセージともいうべき「死後の世界のメッセージ」よりも下等な能力と考えられる。


そして、このように調査と実験をふまえてみると、「テレパシー」が存在しないとしたならば、あらゆる不思議な物事の説明がつかない。実際に超能力による犯罪捜査は成功を収めているようであり、霊媒レオノール・パイパー夫人や乃木大将の事例からも、テレパシーが存在するとすれば説明がつく。乃木大将の見たという女性はこの世のひとではないが、彼女が死んだという記憶をもっている人はまだ生きていたわけである。その人の生体反応であるテレパシーが、乃木大将に幻影を見せたという仮説が成り立つ。


つまり、「モーガンの公準」により、「テレパシー」は存在し、「死後の世界」はないとしても、あらゆる不思議な出来事の説明はほぼ成立するということになる。


死後の世界はある意味で夢のあることだが、実際には存在しないと私は思う。


テレパシーは存在はするものの、それは微弱な電波のように、とても捉えにくいものである。だから有名な霊媒でも、テレパシーの受信に失敗することがある。


これが、私の結論である。


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