月光族

感性豊かすぎるお嬢さま雑誌『月光』始末記。LGBTの精神分析的説明など。

LGBTに与うる書 その3 ゲイへ






私としては、一番難しい課題です。レズビアンやトランスジェンダーやバイセクシュアルの人たちとは『月光』の文通欄や新宿二丁目を通じて実際の付き合いがあったのですが、ゲイについては実際の付き合いがほとんどありません。だからゲイについてはむしろ当事者の方々から意見を聞きたいと思って書いています。


二丁目はゲイの町。私は体が大きく筋肉質で逞しい、見るからにゲイのひととすれ違いました。その時の感覚はふつうに男性とすれ違ったときとは劇的なまでに謎でした。相手は私のことをまるでいないかのように、たとえぶつかってもすり抜けてしまうかのように無視しているのです。これは痴漢にはなりえない。私が感じたのは、すがすがしいという印象でした。


礼儀もかなり良さそうです。ミックス(男女どちらもOK)だと思って「縄」というお店に入ったら、見るからにゲイというひとがずらりと並んでカウンター席に腰かけているのでした。「ごめんなさい!」と心のなかで謝ってドアを閉めました。お客さんは何も気にかけていない様子。後で聞いたところ、そこは純粋にゲイのお店でSМ愛好家が集まるところ。二階と三階はプレイルームで、みんな血だらけでプレイを楽しんでいるのだそうです。


月光族は基本、男と付き合ったことはありません。だから美化してしまうのです。ボーイズラブの主人公は美少年と三十がらみのいい男。そして自分が感情移入するのは美少年のほう、と相場が決まっています。


でも、それはゲイのひとからすると本道ではないようです。私は友人と二人でゲイ雑誌を買いにいったことがあります。あまりジロジロは見られないので、とりあえず『サムソン』という雑誌を手に取り、さっさと会計を済ませました。


男の同性愛雑誌なのだから美少年が出ているに違いない、と思っていたのですが、内容はまったく違っていました。「デブ殺し」とか「社長責め」などというタイトルで、そこに写っていたのは中年男性ばかりでした。これも後で聞いた話なのですが『サムソン』はゲイ雑誌の本道なのだそうです。


でも、ゲイが男っぽいなんていうことはないのだ、というゲイの感想を読んだことがあります。外見こそ筋肉隆々でたくましいけれども、実際にはみんな女っぽい、いやになる、とその人は書いていました。どうせ最後はひとりだ、生命保険に入っておけ、と但し書きがついていました。こう言っているのは一人ではなく、相当数の人がそう思っているようです。また、オネエ言葉を使っている人もかなりいるようです。オネエ言葉は会話で角がたたないようにするためのもの、つまり営業用だと主張するひとがいます。でも、そのためだけなら、他にも方法はあるはずです。女装する人もいます。


これらのことから考えられるのは、次のような推測です。ゲイにも男の例にもれず、父親と母親との三角関係、エディプスコンプレックスは存在する。でも「母親同一化」があることはあるが、大筋としては表に出すことはなく、それはあくまで「秘密」にすべきものなのだ、と。


ゲイは「やがてはたくましい男になって、お母さんのような奥さんをもらおう」という幼児期の空想、いわゆるエディプスコンプレックスの克服を果たしてはいない。母親のようになって父親を引き付けたいが、それは秘密にしておかなければならない。


つまり、ゲイは「女になりたいが、なってはいけない」という心の闇を持っている、ということになります。この推測は正しいでしょうか?


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